先週の土曜日に祖母が亡くなりまして、94歳でした。
戦時中は満州に居たりやら、最後の出航にギリギリ乗れて帰れただとか、父と母が出逢ったことすらそうですけど、私が今ここに居るのはすごい巡り合わせでいるんですよね。すごいな。お婆ちゃんは早くに両親を亡くしたり、夫は二人とも先に逝き、息子も幼くして亡くしたりしていて、数多くの人を見送ってきたんだなと。先でお爺ちゃんが待ってるという、よく聞く言葉ながら叔母さんが話したその言葉に泣きました。お婆ちゃんを見送れて良かったです。
時が経つにつれ、自分が小さい時に会っていたお爺ちゃんとお婆ちゃんではなくなっていくのが辛くて、なかなか祖父母の家に行けなくなった時期とかありました。本当に幼稚で恥ずかしいんですけど。でも、昨年の夏帰って、病院?センター?にいるお婆ちゃんを初めて見て、もう話しかけてもあまり受け答えもしないし、気付くと寝ていたり、起きていてもただ起きているだけといった姿で、人間は結構簡単に死ぬけど意外に簡単に死なないんだなと思いました。お婆ちゃんの気持ちとか分からないからなんとも言えないですけど。で、秋頃に食べ物を口から入れると気管の方に入ってしまって肺炎を起こすから口から食べられないという状態になるんです。夏に帰った時にお爺ちゃんの盆?のあれで来てたお坊さんが、口から物を食べられなくなったら胃瘻という選択肢があるけど無理矢理に栄養を与える手段だからあまり好まない。みたいな話をしていて、叔母も母もそうかもね~なんて言ってたんですけど、やはりいざ口から食べられないだけで胃瘻をすれば生きられる祖母を見殺しには出来ず、胃瘻でお婆ちゃんは年を越しました。しかし、今年の6月に入り胃瘻(食事)をすると痰が取れなくなったり熱が出るようになりました。もう食事を処理できる身体ではなくなっているとお医者さんが言ったそうです。それを聞いて、食事をする=生きる ということなんだなと改めて思いました。身体が食事を拒否しているということは、もう充分生きたと判断したのではないかと。叔母も母も、無理に栄養を入れて苦しんで長く生きるよりは徐々に安らかに逝って欲しいという考えになり、胃瘻を止めることを決断しました。胃瘻を止めるということは栄養を全く取らなくなるということです。止めてから数日後にお婆ちゃんは亡くなりましたが、その間は穏やかに過ごしていたそうで、最後も安らかな顔をしていました。
お医者さんによっては、最後まで処置を続けるお医者さんもいるようで、昨年はそういったお医者さんだったそうです。でも、叔母があの医者合わない・・・といって病院を変えて、安らかに息を引き取る考えを持ったお医者さんを選んだそうです。私も両親を見送る時は安らかに逝かせてあげたいと思いました。
—-自分へのメモがてら。
うちの家族は宗教とか入ってないけど、そういう場合って葬儀とかどうなるんだろな?お墓はもうあるらしいけど。やはりここまで育ててくれた何かを返したい・・・とは思いつつ、たぶん一番はあれなんだろうけど、どうにも、どうにも、、どうすりゃいいのかもはてはてという感じで。。親不孝者ですいません。